肘部管症候群で悩んでいる方はどのくらいいるのでしょうか。
特に手先の仕事をしている方は、不安で仕方がないと思います。
医師によっては肘部管症候群は進行性の病気ということを伝えてくれない場合もあります。
これは私が実際に体験し、何とか克服できた記録です。
本当にこのまま経過観察でよいのか。
実は一日でも早く、手術に踏み切ったほうが良いのではないか。
医師とのコミュニケーションの取り方。
どこまで突っ込んで聞けるのかなど。
私の場合、良い医師と出会ったおかげで、今では問題なく美容師の仕事ができています。
肘部管症候群に至ったきっかけ、医師との出会い、手術、など私自身が体験してきたすべてを記事にして、困っている方の力に少しでもなれればという思いでこの記事を書きました。
肘部管症候群になり 左手が 麻痺 そして 手術
目次
肘部管症候群になってしまった原因
肘部管症候群(ちゅうぶかんしょうこうぐん)とは、
何らかの原因で肘部管内圧が上がり、中を走る尺骨神経が圧迫されて引き起こされる疾患群。
私の場合、小学校1年生の時に自宅の階段を転げ落ち、左ひじを骨折したことが原因でした。
当時私の住む町には整形外科が無く、家族に連れられて接骨院に行きました。
接骨院の柔道整復師の所見では、「丁度よく折れているのでこのままギプスで固定しましょう」ということで石膏ギプスで1か月ほど固定しました。
その後、石膏ギプスを外し、リハビリにも1か月くらい通いました。左腕の筋肉はやせ細りましたが、その後の生活には差し支えなく使えていたような気がしました。
しかし、そこで私の場合運命が分かれました。
骨折した場合は、近くに病院がなくても、どれだけ遠くでも、きちんとした整形外科の医師に診てもらうべきでした。
尺骨神経麻痺の予兆
高校を卒業して東京の美容学校に行き、都内の美容室に努めているときでした。
初めて左手に違和感を感じたのは26歳頃でした。
ある朝目が覚めると、左腕の感覚が鈍く、肩より上に上がらなくなっていることに気が付き、勤め先の美容室を休んで、市立総合病院の整形外科で診察を受けました。
医師の所見では、頸椎の変形が原因の可能性があるということでしたが
その時に、変形した私の肘を見てその時の医師は、
「いつか左手が動かなくなるかもしれないよ」
と言われましたが、その時はまさかと思い
医師の意見をあまり気に留めませんでした。
左手が麻痺し始める
ここからは少し細かく書きますが、日ごとに変化していく左手の変化に思い当たる方は、明日にでも整形外科に診てもらったほうが良いと思うためご了承ください。
美容師の仕事を頑張り、33歳で独立開業。
45歳ころから左手小指の感覚が、鈍くなるのをかんじて、地元の公立病院の整形外科に受診しました。
その時に担当していただいた医師は、今思うと肘の専門医ではなかったようで、診断は「肘部管症候群による尺骨神経麻痺」とされましたが、大したことは無いという感じで、
「手術をして治すこともできるが、まだそれほどではない。経過観察で良いと思う。」
と言われ、メコバラミン(商品名メチコバール)を処方されました。
(メチコバールとはビタミンB-12製剤で、ビタミンB-12を補い、貧血や末梢神経痛、しびれなどを改善する薬赤い錠剤です。)
3か月おきに通いメチコバールを処方してもらっては飲む、の日々が続いていました。
それから少しづつ症状が進んでいても、30年近い美容師のキャリアと技術でごまかしつつ
仕事を続けていました。
自分の中で、大したことではないと思いたいという気持ちが働いていたと思います。
この時点でセカンドオピニオンという考えをしても良かったのではないかと思います。
そして開業した美容室も、順調に成長して52歳の10月のことです。
毎日の仕事で、カットをするときにクシを落とす回数がに多いことに気づきます。
小学生の頃の左ひじ骨折から、45年もたってからのことなのでまさかとは思いましたが、内心もしかしたら肘の病気が悪化したのではないかと、ものすごく不安になりましたが、その不安を打ち消したくて、
「50歳を過ぎて、身体もガタが来たなー」
と、ごまかしていました。
その後、約2週間くらいで左手小指と薬指の感覚がかなり薄れてきたのを覚えています。
その時は妻が心配するといけないと思いかくしていましたが、(美容室は夫婦で経営していました。)12月に入ったころには、もうパーマのロッドを巻くのにも苦労で、お客様の髪をシャンプーをするときには、左手の小指がどこにあるのか、自分でもわからないくらい麻痺が進んでいました。
さすがにこれ以上は、妻にも隠せず今の状態のすべてを話し、次の定休日に再び整形外科に行きました。
丁度その診察の時に、今まで担当していた医師が移動して違う医師が担当し診察してもらうことになりました。
その時の診察では、どのような検査をしたのか記憶にありません。
それは、医師から伝えられた言葉があまりにショックだったからです。
恐ろしい肘部管症候群の症状、そして手術の決断
医師の説明では、同じ肘部管症候群でも原因によって治療の方法も違い、私の場合は幼児期の肘骨折が原因になって、カラダの成長とともに肘関節が変形し肘部管を通っている、尺骨神経を圧迫し、肘部管症候群による尺骨神経麻痺で、左手小指から薬指・中指の外側まで麻痺が起こって、痺れたり、動きが著しく悪くなる病気だそうです。
その時の状態としては
知覚障害
薬指掌側の小指側半分と小指および手背の小指側の痺れと知覚鈍麻(正常より低下しているものを知覚鈍麻,まったく感じないものを知覚脱失)などの知覚障害が出てきます。
筋肉萎縮
骨間筋萎縮(麻痺が進むと手の甲の骨の間の筋肉が萎縮して谷間のようになります)尺側手根屈筋の萎縮(肘から小指側に伸びる筋肉の萎縮)
運動障害
手指の細かい動作(巧緻運動)の障害。
変形
薬指と小指が曲がってしまって、伸びない鷲手変形(特に小指から薬指・中指にかけてまっすぐに伸びなくなり鷲の脚のように折れ曲がった状態)が見られること。
そのような症状が見られたらかなり深刻に考えたほうが良いと思います。
そして恐ろしいことに、加齢により骨の変形がさらに進み、症状がどんどん悪化してしまう進行性のものだということです。
ビタミン剤、メコバラミン(商品名メチコバール)を飲んでも結局症状の改善は見られなく、爆弾を持ったまま不安に暮らすより、その爆弾そのものを解決出来る可能性があるなら手術という決断をしてしまおう、そしてそれは一刻も早いほうが良いと思い翌週、診察のときに手術での治療をお願いしました。
整形外科の医師も、決断したことを喜んでくれて「数週間仕事は出来ませんがこれから何十年も不安を抱えず仕事ができた方がきっといいよ」といっていただき、手術に向かって前向きな気持ちになりました。
手術日が決まる
年明け早々手術することになりました。
手術は全身麻酔で行うそうで、前日に入院していくつかの検査をして、翌日の手術を行うということです。
肘の手術程度で全身麻酔で行うと思わなかったのでとっても恐怖を感じました。
入院期間は順調に行って一週間だそうです。
手術後 肘の上から、指の付け根までギプスをして3週間。ギプスを外してからリハビリに有する期間は早くても2週間は必要だそうです。
実際にかかる期間はどのくらいだろうと思うと気が遠くなりました。
サロンも妻が一人で営業してくれると言いますが、美容師歴30年の私でも、1ヵ月近く一人での営業はかなりきついので、妻のカラダやストレスもが心配でした。
手術の心配や妻のこと、サロンの営業など考えると不安になり夜もねむれませんでした。
入院に際しての持ち物には、スリッパの記載ではなく運動靴持参となっているのは、いろいろなリハビリに備えてのためだそうです。
肘の手術で、手のリハビリだけかと思っていましたが、運動靴を用意するということは、全身を使った運動もするいうことなのかなと思いましたが、スリッパによる転倒を考えてのことでした。
一週間の入院期間は、かなり暇なのかなと思ってみたり、元気もなくなるくらい実はリハビリで、ビシビシやられるのかなどと入院前は色々な不安でいっぱいになりました。
手術当日
手術前日の入院でしたが、ここまでくれば開き直るしかなく、素直に入院しました。
その日は、血液検査や麻酔医との面談。ほかにはやることもなく暇と緊張の入り混じった一日でした。
翌日手術の時間が迫ってきて、看護師さんに案内され手術室までは自分で歩いて行きました。
手術室には二重の扉があり奥の扉の中に通されると、真ん中に横たわった手術台、いくつもの照明、いろいろな機器が点在する医療ドラマで見る光景でした。
看護師から一通りの説明を受けると手術台の上に横たわり、手術をする左腕に切開個所からの出血をなるべく減らすための止血帯が強く締められました。
実はこの止血帯を締めたときの痛みはかなりなもので、止血帯を締める前に麻酔をかけてもらえないものか、などどその時に思ったことを今も覚えています。
そして麻酔医が「1から10まで数えますね」と言われ3まで数える前には麻酔にかかっていたようです。
なるで麻酔医の「2」という声の直後に担当医の「無事終わりましたよ」の声がしたような気がしました。そして意識がはっきりしてくるにつれて、ものすごい激痛が走りました。ストレッチャーに乗せられてICUに向かう間も、痛みで叫んでいたそうです。
ICUの中で耐えられない痛みを看護師さんに訴え、座薬を入れてもらいましたが全く痛みが和らがずに、再び痛みを訴えると「これより強い痛み止めをすると、目が回るかもしれないですよ」と言われましたがあまりの痛みに耐えきれず、痛み止めの注射をしてもらいました。
その後、軽く意識がなくなり、気が付くとだいぶ痛みが和らいでいて、もっと早く頼めばよかったと後悔しました。
手術後にあまりに痛みがある場合は、遠慮しないで医師や看護師さんに相談したほうが良いです。
今の時代の痛み止めは、患者の状態にあったものを考えてくれるので心配はなく、むしろ苦痛を耐えている意味がないような気がします。
夜は夜で、尿のカテーテルを使わなかったため、(なぜだろう?)
一晩中、尿瓶を使って自分で処理していました。
手術をした左手はギブスと痛みでまったく使えないし、右手は点滴をしていたので
大変でした。
病院側は、「遠慮しないでなんでも看護師に頼んでください。」と言ってくれましたが、夜の担当をしてくれた看護師さんが、自分の子供世代の男性の看護師さんだったので、さすがに排尿の手伝いはできませんでした。
結局一晩中 眠ることはできなかった。
退院
手術翌日は昨日はあれほどの激痛があったのに痛みもほとんど消えて、医師からは使える指先は使える範囲で動かすようにとの指示でした。
そして一日に一度、リハビリの理学療法士の方が病室まで来てくれて、簡単な運動?をしました。
4日目からはリハビリ室に歩いて行って少しずつ前日よりも負担の多いリハビリをして、ちょうど7日目に退院することが出来ました。
退院時の写真です。
自宅に帰っても、指は動く範囲でなるべく動かしましょう。
と指導を受けました。
そして退院後、1週間でギブスを外すため整形外科の外来に伺い抜糸をしました。
ギプスを外すのはてっきり整形外科の医師がやってくれると思っていましたが、看護師さんと処置室に行きものすごい音と共に、ギプスを電動のこぎりで切り取ってもらいました。
絶対に安全に出来ているって言われましたがのこぎりの歯が深く入ったら、腕がまっぷたつになるなどと想像してしまいました。
ギプスを外されたあとの腕はというと、
こんなにも細々としてしまいました。
傷は思ったより小さく9針でした。
手術後1カ月
私は筋肉が結構柔らかいらしく、ギプスを外し比較的短時間で腕の曲げ、伸ばしもできるようになり手首もかなり自然に動かすことができました。
医師の注意では、手術でメスを入れたところが完全に治っているわけではないので
動きが良いからと言って、重たいものを持ったり、
体重をかけたりしないようにと指導を受けました。
肝心の指の動きはというと、抜糸翌日から、毎日サロンに出勤して、何人ものお客様のカットやパーマや普通の美容師の仕事が出来ました。
ただ忙しい日は、夕方になると肘が熱をもってだるくなったり痛くなったりして、まだまだ完全に治るのには時間がかかるようです。
でも、手術前は指が不自由でに納得のいく仕事が出来ていなかったので充分に動く指で、仕事ができる今が幸せに感じました。
美容師を続けられる限り、この気持ちを忘れずにいたいと思います。
人により症状も原因も違い、担当医の見立ても皆違うと思いますが私は、もっと早く手術をすればよかったと思いました。
手術前は、いつこの手が動かなくなるかと不安でたまらなかった。
思い切って手術を受けて治すことを考えて本当に良かったと思います。
手術後4カ月
手術後、リハビリは退院してからも1週間に1度のペースで通いました。
1か月後、かなり状態がいいので隔週でも良ですよと理学療法士に言われ隔週で通院。
その間外来での受診は、退院後に一週間目、その後一ヶ月に一度となりました。
5カ月目の外来での診察の時にリハビリも今月いっぱいで終了。通院も一ヵ月後を最後にあとは調子が悪くなければ来なくても良いということで計画通り、術後5ヶ月で病院とは一応、卒業できました。
その後
手術後、半年たった時の感想です。
自分での回復具合の感想は、握力は調子が悪くなる前にくらべ、7割くらいの回復。
痺れににかんしては、日常生活で気にならない状態です。
ただ気温の低いときは痺れたり、動きが悪かったりはしますが、徐々に正常に戻るとお医師も言ってくれたので、毎日自分でリハビリを頑張るしかないと思いました。
お医者様も言っていたのですが、仕事が美容師ということもあり、毎日がリハビリしているようなもの、とにかく毎日動かすことが大切だと。
たとえばパーマを巻く作業でも、両手の10本の指すべてを使います。
セットで、パーティーヘアや日本髪を結うときも、10本の指を駆使して作ります。
左手の調子の悪いときは、奥さんに片腕になってもらい、二人でセットをしていましたが、決して満足のいくものでは無く、技術者、美容師としては忸怩たる思いがありました。
そのときは本当に健康な時のように、お客様もまた自分自信も納得できる作品が創れるのかと本当に不安でした。
今は、ピニングひとつにしても、毛先の表情ずくりにしてもかなり以前のような感覚が戻り、いまさらながら美容師としての仕事が楽しく出来ています。
しかし、いまだ左手中指と薬指の開く間隔が狭く、右手は手のひらいっぱいにひろげると中指と薬指の間隔は5センチくらいあくのに、左手は2センチくらいしか開きません。そしてその薬指と中指もぴったりつけることも難しいです。
これはワインディングをしていて大きいロッドを巻くときに少し使いづらく感じます。
これも毎日トレーニングをしていれば、もっともっと良くなるとお医者様も言ってくれるので1年、2年先になろうと頑張ってみようと思います。
今、肘部管症候群で尺骨神経の麻痺等で悩んでいる方がいるようでしたら、その方の状態にもよりますが、この手術の経験方豊富なお医者様に相談することを強くお勧めします。
症状の進行程度にもよりますが、経験豊富な医師は積極的に手術を勧めてくれます。
肘の治療が苦手、もしくは違う部分の専門医は、やはり消極的な方も多いようです。
私の場合、幼い頃の骨折による遅発性のもので、これは進行性の病気で一日でも早く治療しないと、(圧迫を解除しないと)治るまでの時間もかかり健常時に戻る確率もどんどん低くなるそうです。
私自身、今回の手術によってこれからの人生が大きく変わる、といっても過言ではないでしょう。
すべての患者さんが好転するとは限りませんが、一人でも多くの同じ悩みを持っている方が救われれば良い、と思いこんな記事を書着ました。
まだまだ手の甲の筋肉は削げ落ちて醜いところも多いですが、今後も少しずつ
記事にしていきたいと思います。
いったいどんな手術をしたのか。
どんな手術を受けたのかは、説明を受けた私自身が素人で、今で思うと100%理解できていなかったと言うことと、何年も前のことで記憶があいまいなこと、そして状態によってさまざまな方法があると言いうこと、またこれを書くことによりいろいろな誤解や不安を与えてはいけないと思い控えていましたが、それを踏まえても知りたいというご連絡があったので、こちらで記事にします。
本当に僅かな参考程度としていただけたら幸いです。
専門用語もわからず素人がわかる程度の説明をします。
肘関節の内側の骨の肘部管と言われるくぼみを通る尺骨神経が本来はゆったりとしているくぼみなのだそうですが、私の場合、小学校の頃の骨折をきっかけに少しずつ変形をしてきて、肘部管の内圧が高くなり、管内に存在する尺骨神経が圧迫されて、しびれを引き起こすことになったのだそうです。
手術の内容としては肘のは腱弓(筋の付着部に骨から骨に張るアーチ状の腱)を切り離し尺骨神経を肘部管から開放。そして尺骨神経を移動しました。
私の場合は、尺骨神経を肘部管から開放するだけでは圧迫が取れないので、骨を削り圧迫を和らげる。そして尺骨神経を移動しました。移動する場所は、スポーツなどをして腕をぶつけたりしたときにしびれなどが起きにくいように、筋肉の下側に移動して、今後支障のないようにしていただきました。
そして再び腱弓をつなぎなおして、切開部部を閉じる。こんな内容だったと記憶しています。
そのために通常は短期間で、肘の運動は翌日から可能だそうですが私の場合上記のような手術だったために肘を覆うギプスで一か月間固定するということになりました。
この手術内容は、記事全体の私が経験した事実ではなく素人の私が、医師の説明を勝手に解釈して、文章にしたものですので、本当に参考程度にしていただくようお願いします。
まとめ
以上、今から6年前の出来事になりますが、肘部管症候群という病気は、色々な要素からなり、治療の方法もさまざまだそうですが、いずれにしても早い時期の治療が大切になります。
私の場合、手術から6年たった現在は左手の薬指と小指は、日常生活に問題がない程度に回復し、美容師の仕事も、画家という仕事も不自由なくできています。
お医者様の説明では、私の場合進行が進んでいた割に回復がかなり良かった例だそうです。
そして進行し、麻痺したままの期間が長いと、手術をしてもあまり回復は望めないそうです。
このようなお悩みの方。1日も早く専門医に診てもらうことをお勧めします。